大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和61年(オ)946号 判決

上告人 甲野花子 外1名

被上告人 乙山春子

上記財産管理人 乙山夏子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人下光軍二、同佐藤公輝の上告理由第一について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その判断の過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第二、第三について

原審が適法に確定した、(1)亡雪夫は妻である上告人花子がいたにもかかわらず、被上告人と遅くとも昭和44年ごろから死亡時まで約7年間いわば半同棲のような形で不倫な関係を継続したものであるが、この間昭和46年1月ころ一時関係を清算しようとする動きがあつたものの、間もなく両者の関係は復活し、その後も継続して交際した、(2)被上告人との関係は早期の時点で亡雪夫の家族に公然となつており、他方亡雪夫と上告人花子間の夫婦関係は昭和40年ころからすでに別々に生活する等その交流は希薄となり、夫婦としての実体はある程度喪失していた、(3)本件遺言は、死亡約1年2か月前に作成されたが、遺言の作成前後において両者の親密度が特段増減したという事情もない、(4)本件遺言の内容は、妻である上告人花子、子である上告人月子及び被上告人に全遺産の3分の1ずつを遺贈するものであり、当時の民法上の妻の法定相続分は3分の1であり、上告人月子がすでに嫁いで高校の講師等をしているなど原判示の事実関係のもとにおいては、本件遺言は不倫な関係の維持継続を目的とするものではなく、もつぱら生計を亡雪夫に頼っていた被上告人の生活を保全するためにされたものというべきであり、また、右遺言の内容が相続人らの生活の基盤を脅かすものとはいえないとして、本件遺言が民法90条に違反し無効であると解すべきではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 高島益郎 大内恒夫 佐藤哲郎)

上告代理人下光軍二、同佐藤公輝の上告理由

原判決には、理由不備、理由ソゴまたは審理不尽の違法、または判決に影響を与える法令の解釈、適用を誤まり、または経験則違反があつて、破棄を免れない。

第一、原判決は、亡雪夫と被上告人が、昭和43年ころから約7年間、いわば半同棲の男女関係にあつたものと認定し、この経過の中で遺言書が作成されたとしているが、次に述べるように、亡雪夫と被上告人とは、単にホステスと客の関係にあつただけで、半同棲の男女関係などなかつたものである。

右の点について、原判決には、理由不備、理由齟齬の違法がある。

一 亡雪夫と被上告人の男女関係について。

1 原判決は、亡雪夫と上告人花子は、昭和43年ころからおおむね別居し、上告人花子は伊東のマンションに、亡雪夫は都内に住むようになつたというも、上告人花子と亡雪夫は、渋谷や鶴巻の家に同居していたのであり、時々単独で週末に上告人花子が伊東マンションに行く程度にすぎなかつたもので、別居していたというのは誤りである。

2 昭和43年頃、亡雪夫が出版記念パーティに被上告人を呼んだことはあるが、これは、他のホステスも連れて来ていたのであり、単にホステスの一人として呼んだのにすぎない。

3 原判決は、亡雪夫が秀和レジデンスに寝泊りするようになつて以降、生活の資をもつぱら亡雪夫にたよるようになり、被上告人の縁談も、亡雪夫が強く反対して立ち消えになつたとしているが、これについての明らかな証拠はなく、乙山夏子の証言も、後述するようににわかに措信しがたい。

4 原判決は、被上告人が、昭和46年12月、経堂の小田急経堂ビルに移り、亡雪夫もここに寝泊りして関係を継続していたというも、亡雪夫が右ビルに寝泊りしていたという証拠はどこにもない。

5 原判決は、昭和49年8月21日、遺言書作成について、久保島ビルで、亡雪夫が遺言書書くから紙よこせといい、近くにあつたノートを切りとつて作成し、将来安心して生活できるだろうなどと述べながら手渡し、被上告人が引出しに入れたところ、亡雪夫が被上告人の銀行の金庫に入れるよう助言し、いわれるままあづかつてもらつたとしているが、これは、乙山夏子の証言をそのままうのみにしたもので、措信し難く、昭和45年11月に亡雪夫に2000万円要求した際の状況や、第3項で述べるように、本件遺言書の体裁、被上告人の性格、甲野花子の証言等から判断し、到底措信できる内容ではない。

6 原判決は、亡雪夫と被上告人の関係は、上告人花子が十分知つており、亡雪夫は、敬老の日記念旅行やB男と食事する際にも被上告人を同伴しており、亡雪夫の家族、その周辺の人々にも公然と関係を継続してきたというもそうではない。亡雪男と被上告人との交際の事実について上告人甲野月子がはじめて知つたのは、昭和45年末の2000万円の脅迫事件のころであり、しかも上告人甲野月子は、被上告人の余りの異常な言動にシヨツクを受け、胃潰瘍を患つた程である。

上告人花子は、ある程度早目に両者の関係を認識していたとはいえるが、腹立ち、悔しさを耐え忍んでいたのであり、決して容認してはいなかつた。

又、B男も、1回だけ被上告人を紹介されたことはあつたが、被上告人はB男の手帳に当時居住していた久保島ビルの自宅の電話番号と自己の名前を書き入れるなど、ホステスとして同席していたとしか考えられず、B男は、亡雪夫と被上告人が特別な関係であるとは考えていなかつた程である。

亡雪夫が、被上告人を敬老の日記念旅行に同伴したことがあつたとしても、亡雪夫の気まぐれによるもので、豪放磊落な大学教授が、年寄りばかりの敬老の日記念旅行に、若いホステスを同伴したとしても、周囲は孫娘を連れて来たくらいに思つたかも知れないが、それを特別な関係があると公然と見せびらかしたとみるのは考え過ぎである。従つて、亡雪夫が、被上告人と公然と関係を継続していたという認定はあやまりである。むしろ、歴史研究所には全く秘密にしていたことが証人の証言でもわかる。

7 亡雪夫は、上告人花子と同居し、歴史教育研究所には毎日出ていたものであり、被上告人と同棲ないし半同棲していた事実は記録上何ら認められない。

8 亡雪夫と被上告人の関係は、妾関係などともいえるものでなく、あくまでバーやキヤバレーのホステスと客の関係、あるいはその延長という域を出ていないものである。

被上告人と亡雪夫は結婚の約束があつたといつているが、亡雪夫は明治41年生まれの東大の教授で、ベストセラーも何冊も書いた著名な学者であり、被上告人は昭和18年生まれで、亡雪夫より36歳も年下で、極貧の家庭に生まれ育ち、その母はたくさんの子をおいて家出し、兄弟には精薄児もおり、中学卒業後、水商売に入り、ホステスとしてやつてきており、両者の間には、年齢、学歴、経歴、育ち、家庭その他どの点を比較しても本気で結婚の対象とするとは考えられないことである。

亡雪夫と被上告人の交際の実態は、被上告人が亡雪夫より金銭取得しようとして同人を籠絡し、あるときは威し、あるときはこびを売る等して同人を翻弄したというものであり、被上告人は亡雪夫と交際していた間、金品を要求するのみであり、亡雪夫の支えとなつて、仕事の事業の手伝いをしたり、財産の蓄積維持に貢献したり、苦楽を共にするなど、生活共同体を営み、妾や妻としての役割の一端すらになつていたことはなく、同人のために何らの犠牲を払つたこともないのである。

二 以上からすると、亡雪夫と被上告人の関係は、いわゆる客とホステスの関係、しかもこれは、対価を払つた、酒色を目的とした遊びの関係にすぎないものであり、両者の間に半同棲の事実もない。

これを、ホステスと客の関係をこえて、半同棲の男女関係があつたと認定した原判決は経験則違反の誤りを犯しており、さらには、理由不備、理由齟齬の違法がある。

第二、原判決は、本件遺言は民法90条に違反しないと判示する。しかし、右については法令の解釈につき誤りがあるとともに、経験則違反、審理不尽、理由不備の違法がある。

一 遺言の存在と不倫な関係について。

1 判例は婚姻の純潔を冒し、一夫一婦制を破る関係を成立させることを内容とする法律行為は無効であるとする。婚姻外の情交関係を継続する旨の契約や、妻を離婚して婚姻するという予約はいずれも善良の風俗に反して無効である(大判、大9.5.28)としている。

2 本件の如き、婚姻外関係継続中に、男性から、いわゆる愛人である女性に遺贈をなした場合の効力については原則的に不倫な関係を維持させるための遺贈と考えるのが経験則に合致するところである。例外的に、受遺者である女性の老後の生活保障などの理由の場合、有効とされるのである。

原判決をみると、あえて、不倫関係の維持継続のために遺言は必要でなかつたとして、被上告人の将来の生活のためだとしている。即ち、男性側は女性をひきとめておくためにどうしても必要というような理由がなくては、維持継続と言えないという解釈であり、でなければ、有効というようであるが、これは原則と例外を逆にした解釈で、誤りであると言わなければならない。なぜなら、不倫関係を維持、継続させるためには、現実の生活費の供与のほかに、2人の関係をより強く結びつける点において、遺言のもつ意味は大きいとみるべきである。それは、第三の一の6において明らかにしたように、本件遺言を作る必要性において、合理的な理由がないのである。そして、本件のように、不倫関係のある者に対して、相当の財産を遺贈することにより、不倫関係を絶止することは考えられないし、相手の女性の気持を、より自分に向けさせ、安心させることにより、互の関係をさらに緊密にし、深い関係にさせるのが目的であるのが通常と考えられる。

遺言書は遺言者が死亡しなければ、遺贈の内容の実現がないのであり、不倫な関係の破綻があれば、遺言が取消されたり、書き換えられたりする恐れもある。

従つて、遺言者の方から、相手方に対し、不倫な関係を強要しなければならないような事情がなくとも、不倫な関係を維持継続することが固定化することは確実である。これは不倫の被害者たる妻の立場からすれば、婚姻秩序の著しい破壊の固定化の契機となるのであり、そのことが公序良俗違反でないとするのなら、遺贈が通常人の目からみて納得できるような場合に限るべきである。たとえば、本妻との関係が形骸化しているような場合の重婚的内縁の妻、妾といつても長期間男性のために尽くし、共に事業をなすなどし、老令、あるいは2人の間に子がいて働くことができないため生活保障が必要とされるような場合である。

3 本件の場合、遺言書の作成前後において、両者の関係の親密度が特段増減したという事情もないと原判決は認定している。即ち、遺言書を必要とする事情はなかつたということである。この間の事情は間接的に推測するしかないが、上告人花子が述べているところだと、亡雪夫が遺言書を書くよう強要されていた事情があつたことは推測される。被上告人はそれ以前にも、自分でも遺言書類似のものを書いたりしているところをみると、遺言書作成に熱心であつたことが推認される。本件遺言も、右のように被上告人が主導権を握つた上で作成されたことは充分に推測されるのである。

亡雪夫が遺言をやむを得ず書いたことはその中で歴史教育研究所の維持について、非常に気にして、「絶対なり」とか「承服せず」というような強い表現を用いていることからもわかる。亡雪夫は被上告人に遺産をやつた場合、学問に興味のない被上告人のことゆえ、先行が心配ということが第一にあつたと思われる。亡雪夫が研究所の維持について、上告人甲野月子より被上告人を信用していたなどということは、後述(第三点二の13)するように、証人乙山夏子の証言の信用性から考えても全く作り事としか思われない。

このような状況での遺言を、亡雪夫から被上告人に不倫の継続を求めたことが主な動機ではないといつて有効となすのは、民法90条の趣旨に反すると言わざるを得ない。

結局、被上告人は、せつかく書かせた遺言の実現までは、即ち、亡雪夫の死まで亡雪夫との関係を維持しようということにならざるを得ないのであり、現に、亡雪夫の死亡の直前まで交渉を続けている(証人B男の証言)。

亡雪夫にとつても、被上告人に性的にひかれていたこともあろうが、遺言まで書いてやつたということも関係を断てない気持を強めたはずである。作成の状況自体も全く、夫が不倫の関係の女性に遺言を贈与するもので、妻の権利立場をないがしろにするものであつた。まさに公序良俗に反している。

一方で、本当に原判決の認定するよう、もつぱら被上告人の生活の保障という目的であつたかどうかは、結果として、生活を保障されるということはあるかもしれないが後述するような被上告人の年令、将来の展望等考えると、その必要性のある状況でもなかつたし、また亡雪夫にその責任があつたと考えられる状態でもなかつたのである。即ち、遺言が納得できるような場合ではなかつたのである。それは、妻の上告人花子が古風な女性のため、ヒステリツクに亡雪夫を責めたりしていないにしても、関係が稀薄化していたわけではなく(むしろ、遺言書のことでは困つていることを相談されてもいる)、本妻という妻の座を守つていたわけであるし、一方、被上告人においては、性的な関係以外では亡雪夫に尽くしていたこともなく、経済的な貢献はおろか、多額の金品を供与させていた事実もあり、別れ話の時には、金銭的な解決を一度は図つていた。年令は30歳そこそこで、水商売をしてきた女性としては、当時は働けないような精神、肉体の異常があつたとは思えないから、生活に困るようなことは考えられなかつた。まして、遺言書作成当時は既に600万円(現在の物価に換算すれば2000万円近いものとなる)を亡雪夫から取得している。従つて、生活保障の必要性は全くない女性であり、仮にあつたとしても、遺産の3分の1というような多額を与えることはなく、また、多額ということだけでなく、分割の方法としても、相続人との間で紛争の起こるような分与のしかたをして生活保障をするのは納得はいかない場合であつた(何年間かの生活費として500万円とか1000万円という程度というのならまだ納得できる)。

4 従つて、原判決の被上告人の将来の生活が困らないようにとの配慮に出たというのは、証人乙山夏子の信びよう性の薄い証言のみから認定した独断としか考えられない。

また、「愛人」とか「妾」関係にある者に対する遺贈は、原則として無効であるから、これを有効と認定するためには、原判決も言うように「生活に困らないようにとの配慮」が必要である。ところが、原判決は、被上告人が生活に困るのかどうか、遺言時の当事者の年令、資産、職業、収入、結婚の有無等何ら具体的な事実を認定することなく、漠然と「生活に困らないようにとの配慮」があると判示した。この点からも、原判決には審理不尽がある。

二 結局、原判決の判断は、民法90条の解釈運用を誤まるとともに、経験則にも違反し、審理不尽、理由不備の違法があるというべきである。

第三、原判決は「被控訴人に対する財産的利益の供与も必ずしもこれが社会通念上著しく相当性を欠くものともいえない。」(第一審判決書14丁表)と判示し、本件遺言は民法90条に違反しないとした。しかし、この判示には、後述するような点から考えると、理由不備ないしは理由齟齬の違法がある。

一 本件各証拠によれば、以下の事実がそれぞれ認められる。

1 被上告人の性格。

(一) 上告人らが、亡雪夫の依頼により、秀和東中野レジデンスを訪ねたところ、その部屋は、足のふみ場もないほど5ミリから1センチぐらい異状なまでの切りきざんだ衣類やガラスの破片がちらばつていた。その当時被上告人と話をした田辺弁護士は「ものすごいメチヤメチヤな人で今日のところは話にならない」と言つていた。昭和46年1月4日には、被上告人が包丁を持ち出し、異常なまでに興奮して上告人甲野月子の目の前で電話線を切つた。

甲第13号証の2や、上告人花子の証言からも明らかなとおり、被上告人は狂言自殺を図つたこともある。被上告人は、亡雪夫とけんかした時も、5分毎に亡雪夫のところへ電話を掛けてきたため、亡雪夫は、その異常な行動に脅え、その電話番号を変更した。被上告人は、昭和46年1月、確認書を作成して、亡雪夫との関係を清算したにも拘らず、その翌月にはあえて亡雪夫の居住する富ケ谷の近くに引越して来たこと、その後にこれを知つた上告人甲野月子が被上告人に亡雪夫との関係について問い正すと、被上告人は怒鳴つて、確認書は無効だ、交際は自由だとひらきなおつた。

また、被上告人の家庭環境は良くなく、生活保護を受け、10人で6畳と2畳の二間で生活していた。被上告人の家系には精神薄弱の者がいたり、また、母親による子供の教育も十分になされていなかつた。被上告人の友人D子が被上告人にたのまれて、掃除等のアルバイトを行つたが「足のふみ場もない程乱雑を極め、食器洗いや洗濯すらも満足にせず、前日から水につけつ放しであつた」こと等のため、友人D子は2ヶ月程でそのアルバイトをやめた(甲第15号証43頁)。亡雪夫の死亡後も被上告人は、亡雪夫名義で飲食したため、そのツケが出て来たこと(上告人の控訴審供述)、被上告人とE子なる人物との異常な共同生活が認められる(甲第16号証)。

(二) これらの事実を總合すれば、被上告人は精神的な異常性格を有していたことがうかがえる。そして、物事を感情的に行い、気に入らないと怒鳴るとか、衣類をひきさく、電話線を切る等の行動を示していた。E子氏との同居生活も重なり、その精神的異常は増増強度を増し、ついには精神病院に入院する程の重度になつた。

亡雪夫は、このような被上告人の異常な感情が爆発するのを恐れており、本件遺言も被上告人のいうがままに作成されたものと思われる。

2 被上告人の職業。

(一) 被上告人は、昭和18年生れの7人姉妹兄弟の四女で、変人といわれた父、末弟を生んだ後直ぐ家出した母をもつたが、貧窮の家庭に育ち(父は無名の画家で、しかも、絵筆もあまり握らなかつたし、昭和45年1月死亡)、一家10名が狭い6畳と2畳の2間に居住し(とくに、長兄と末弟は精薄状態で、一時は生活保護を受けていた)、ようやく中学を卒えた後は、家計を助けるべく早く家を出て独りで水商売で生活を維持していた。被上告人は昭和42~3年ころには、その水商売を通じ、当時すでに著名人であつた亡雪夫を知るようになるや、他の「ホステスと客の関係」と同じように、同人より多額の金員をせしめることを目的として情交関係を結んだ。

また被上告人は、証人B男と知り会うや、勝手に同人の手帳に自己の電話番号(甲19ノ4)を記入した。これは、水商売の女性が自己の客を獲得するために通常行う手口である。

(二) このように、被上告人の生活は、長い間水商売を続けては特定あるいは不特定の人から援助を受けるなど、「色と欲の半生」といえる生活史であつた。これと思つた男と見れば積極的に近づき、関係がつけば手をかえ品をかえ金銭を要求するのであつた。被上告人は、亡雪夫と知り会つてから、同人からの生活の援助もあつて、一時夜の仕事をやめたこともあつたが、再度勤めに出ていた。このような被上告人の生活態度を考えると、本件遺言も、被上告人の強い希望のもとに作成されたことは明らかである。

3 被上告人と亡雪夫の関係。

(一) 昭和42~3年ころ、亡雪夫は、酒が好きで夜の町を飲み歩いていた。そんな時、亡雪夫は被上告人の接客を受けるようになり、2人は深い関係に入つた。2項のような被上告人の生活態度を考えると、2人の関係は当初お金目あてであつた。やがて被上告人は、亡雪夫の当時の仕事場であつた秀和東中野レジデンスに押しかけ、そこで寝泊りするようになつた。その頃から、被上告人は、亡雪夫に、乙第2号証、甲第16号証のような書面を作成させて金員の支払いを約束させ、狂言自殺を装う等しては、亡雪夫より金員を支払わせようとした。昭和46年1月4日、被上告人は亡雪夫の右ほほを傷つける等の乱暴を働いて、ついに同人に乙第2号証の3のような確認書を作成させた。もつとも、この間2人は、同じ室に寝泊りしたことはあるものの、被上告人は、家庭の主婦らしい仕事は全くしておらず友人をアルバイトとして雇つて室の掃除をさせていた程であつた。

ところが、被上告人は、右確認書を作成して1ヶ月も経過しない内の同年2月ころ、あえて、亡雪夫の住居の近くに引越したが、上告人甲野月子が、亡雪夫と手を切るよう申し出たこともあつて、同年12月ころには経堂の小田急経堂ビルに引越した。その間被上告人は、前記確認書を無視し、亡雪夫を呼び出していた。亡雪夫も、従前の1項のような経緯があることもあつて、無理に断わることが出来ず、時々被上告人と会つていた。しかし、本書面第一点でも述べたように、亡雪夫と被上告人との間には半同棲はなかつたし、昭和48年神山ハイムが完成し、亡雪夫の研究所もそこに移つたため、その後は被上告人と同棲したというようなことはなかつた。

もつとも、亡雪夫は、金が出来るとホステス遊びをしており、他にも女性関係もあり、被上告人との間の交際も、遊びの域を出るものではなかつた。昭和49年5月、被上告人が上大崎に引越した後も、亡雪夫は数回被上告人と会つていた。

(二) 以上のような事実によれば、被上告人と亡雪夫の付きあいは、「ホステスと客」の関係にすぎない。しかも被上告人は、これまでに述べたところからも明らかなとおり、金に対する執着心が強く、亡雪夫を「金の成る木」のように考えていたふしがある。

そして、亡雪夫は、被上告人の若い肉体にも魅力を感じていたこともあろうが、余りに異常な同人の言動に脅えて、被上告人の呼出しがあつた時のみ同人に会いに行つていたのが実情である。原判決は、これをもつて半同棲と認定するが、第一点でも述べたとおり不当な判決である。

亡雪夫が被上告人に気を寄せていたとしても、昭和45年10月~同46年1月ころまでの被上告人の異常行動や、上告人花子と1ヶ月余り都内を逃げ隠れしていたことをあわせ考えると、すでに確認書を作成した時点で、被上告人に対する好意は消失していたものと言わなければならない。亡雪夫は、「女から逃げ出す法律の本」(甲23号証)を講読しており、このことをみても、亡雪夫は被上告人と手を切る方法を必死で考えていたことがうかがえる。

乙山夏子の証言によれば、被上告人宅に亡雪夫が来訪していた事実が認められる、しかし、同人の証言は後述するとおり、措信し難く、また、これが事実であつたとしても、そのことから、すでに被上告人に対する愛情が消失している亡雪夫と被上告人との関係を半同棲と認定するのは論理の飛躍である。

4 上告人花子と亡雪夫の夫婦関係。

上告人花子は、昭和22年亡雪夫と婚姻して以来30年近くにわたり、亡雪夫と協力して今日に至つたものであり、亡雪夫の地位、名誉、財産は、上告人花子の内助の功によるものである。

亡雪夫が被上告人を知るようになつた昭和42~3年ころは、上告人花子は静養のため伊東の別荘で生活することもあつたが、第一点でも述べたとおり大半は亡雪夫と一緒に生活をしていた。また、昭和45年~46年ころ、上告人花子は亡雪夫と一緒に、被上告人から逃げるため、1ヶ月近くにわたり都内のホテルを転々としていた。

昭和48年には神山ハイムが完成し、亡雪夫夫婦らはこちらに移り住んだが、その後仕事の都合もあつて秦野市の方に引越したのである。その間1度も離婚の話はなかつた。このように、亡雪夫と上告人花子の関係は、第一でも述べたとおり、円満な夫婦であつた。

この点、原判決は「夫婦としての実体はある程度喪失していた」と判示するも、これに添う証拠はなく、重大な事実誤認が認められる。

5 昭和46年1月4日確認書作成経緯。

(一) すでに述べたとおり、被上告人が金銭目的でこのような書面を作成させたことは明らかである。このことは、後日、合計600万円以上を受領していることからも推認できる。しかも、その作成に至る事情は、前に述べた他に、亡雪夫は、上告人らに対し、「二人に見張られている」「脅迫されている」「ガラスを投げ付けられた」「便所から逃げてきた」「2000万円要求された」「指輪を買えといわれた」「おどされたり書かされたりするので逃げ廻つた」と話していた。右ほほに7センチ位の傷を作り、ワイシヤツが血で赤く染つていた。また、亡雪夫の新聞対談も予定されていたが断つたというようなこともあつたのである。

(二) 被上告人は、亡雪夫と会つて2~3年して、このような、非常なまでに激しい言動で亡雪夫に財産を強要したものである。亡雪夫としては、被上告人の右のような言動に恐怖を感じ、且つ、自己の地位、名誉が傷つけられることを怖れて、やむを得ずこれに応じたものである。従つて、その目的は不当な目的に他ならない。上告人甲野月子も、早く別れさせようとして、相当高額な手切金を被上告人に交付することを約束した。

本件確認書は、このような被上告人の金銭目的の行為により作成されたものである。

6 本件遺言書作成の動機。

(一) 本件遺言の作成の経緯は、亡雪夫が急に「紙を出すように」「どんな紙でもいい」と言つて、被上告人が出した紙に本件遺言をしたということである(乙山夏子59.2.15)。本件遺言をするに至つた経緯については何も書かれていない。亡雪夫は、本件遺言当時も元気で、死を予想されるような状態とは思われなかつた。上告人らや被上告人も亡雪夫の死は信じられなかつたと言つている。亡雪夫は「書いてくれと言つて毎晩ねかせてくれない。判を押さなければよいということで落書をしたらその晩は寝かせてくれた」「判は押さなかつた」と言つていたことが、花子の供述で見える。

(二) 以上の事情によると、亡雪夫には遺言を書いて死後の財産整理をしなければならない事情は全くなかつた。むしろ、被上告人が執拗に遺言を書くことを求めたためこれに屈して本件遺言を作成したと言うのが真相である。本件遺言の作成には合理的動機がない。右証人乙山夏子の証言も、本件遺言の作成の点だけは明確に証言するが、それに至つた事情については何も話がなかつたと証言しており、この点から見ても、本件遺言の作成には任意性について問題があるといわなければならない。

7 強迫による遺言。

(一) 被上告人は、すでに述べたとおり、ホステス業に身を置き、不特定または多数の者から媚を売つては金品を受け取つて生活をして来ており、亡雪夫との関係も、ホステスと客から出発したが、何処までも被上告人は金目当のものであつて、それ以上のものとの証拠はない。

被上告人はすでに述べた異常性を有しており、亡雪夫もそれがためひどい目にあつたことがあつた。そのため、遺言の作成を断わると何をされるやら判らないという不安が亡雪夫にはあつた。また、亡雪夫は、これまでにも確認書等、被上告人から色々と金員を支払う旨の文書を書かされて来た。また、亡雪夫は、被上告人に月々相当額の援助をしていたものと推測されるが、その他に中野のマンシヨン売却代金600万円以上を支払つて来た。その結果、被上告人と手が切れると思つていたが、被上告人はいやがらせのため昭和46年2、3月ころから同年12月ころまで、わざわざ亡雪夫夫婦の居住する近くに住み、亡雪夫に取り入ろうとした。また右6項で述べたとおり、亡雪夫は、遺言書を書かなくては寝かせてもらえない程被上告人から暴言を受けていた。このような事実を前提とする限り、証拠上は必ずしも明らかではないが、被上告人は亡雪夫に対し、同人の意思に反して金員の交付を要求していたものと推察される。

他方、亡雪夫は、高校の歴史教科書を出す等、研究者としても世間的に著名人となり、そのため地位や信用、資産等も高くなつて行つた。亡雪夫が被上告人と交際するようになつた頃には、出版記念パーテイをする等、その交際も広かつた。これに対し、被上告人は、ずつと水商売を続けており、その教養、社会的地位、信用、資産、交際範囲等、どれをとつても亡雪夫の比ではなかつた。そのため、亡雪夫と被上告人との関係が世間に公表され、あるいはマスコミに取りあげられると、その痛手を受けるのは亡雪夫であつた。

右のような状況下で本件遺言は作成された。

(二) このような事情に鑑みると、亡雪夫が被上告人の暴言や乱暴な行為から当面免れようとして本件遺言を作成したものと推測される。これは被上告人の強迫による意思表示である。

仮りに、民法96条1項の強迫の要件を備えないとしても、本件遺言は被上告人の異常な行為に影響され作成したものである。

この点、原判決は、本件遺言作成の背景として、「しかし、その後間もなく亡雪夫と被告の交際は復活し・・・・・・世田谷区経堂所在の小田急経堂ビルに移り、亡雪夫もそこに寝泊りしたりして両者の関係は継続した。・・・・・・被告も品川区上大崎所在の賃貸マンシヨン久保島ビルを賃借し、・・・・・・賃借りするについては亡雪夫も被告に同行し、・・・・・・契約に立あつた。そして、右マンシヨンにも時々亡雪夫が来訪し、被告との関係を続けていた。」(一審判決書9-10丁)と判示している。

このような事実から直ちに本件遺言が正当に作成されたと見るのは早計である。けだし、これまでの事情(殊に昭和45年~46年)を考えると、亡雪夫と被上告人の関係が、亡雪夫の全遺産の3分の1を遺贈する程に深い愛情関係にあつたとは思われない。むしろ、余りしつこく被上告人が亡雪夫を呼び出し、面会を求めるため、亡雪夫はやむ無く同人と面会していたと推認するのが合理的である。いわんや、被上告人は亡雪夫より2回にわたり金600万円を受領しており(一種の犯罪行為にもなりかねない行為)、ことに2回目の受領は、本件遺言の約8ヶ月位前であることからみて、到底両者間には、自然に死後の生活を保障しなければならないような関係があつたとは思えないし、また、遺言をするような愛情関係がある等、合理的な理由はなかつたといわなければならない。

8 遺言の筆跡等について。

(一) 本件遺言当時、亡雪夫は健康で、手がふるえて字が書けないということはなかつた。亡雪夫は、学者で文章は文意明瞭で、文字も几帳面で、日頃からきちつと書いていた。遺言書の「遺言」という字も、住所の表示のある箇所の前に後から書きくわえたような位置に書かれている。遺言書の書き始めと書き終りの住所の地番がさがつている。妻の名前も間違つている。また、全体の字が乱れていて、判読もできない状態の字を綴つてある。それに、筋の入つている罫紙に書いているのに、行が斜めになつたり曲つたりしている。亡雪夫の文章は、甲第12号証、乙第2号証の1、2のとおりである。とくに、後者においては、亡雪夫は、大事な書面であることを意識して、2枚目の最後の行には、つけくわえたり、抹消できないように、「右協約事項、二枚七項目参拾七行(本文)ある。」と記載している程である。その上、壱字追加している個所には、欄外に壱字追加として特別に印をおしている程である(もつとも甲1号証の方にも壱字訂正の欄外印がおしてあるが、行が違う場所になつている)。上告人甲野月子や証人B男も、本件遺言が亡雪夫のものでないと証言し、それ程、平素の亡雪夫の文章と掛離れており、本件遺言の異常さを表わしている。

(二) このように、本件遺言は、亡雪夫の日頃の文章からすれは到底考えられないものである。これは、亡雪夫が、被上告人の要求に応じなければ、命も危い状態におかれていることを恐れて、真意でもないのに、心の平静さを失い、その場逃れのためにやむなく筆をとつたものと思われる。

そして、男女間によくあるように、痴話げんかの末とか、浮気騒動の場合男性側が詫び状や誓約書などを書かされるが、これと同様その場逃れに書いた「ざれ言」に過ぎないものとも思われる。これもかねてから被上告人のこわさを知つているので、いわれるまゝに、恐怖心から真意でないのに書かされたものである。

9 亡雪夫の財産内容。

(一) 原判決は、亡雪夫の財産内容について何ら審理せずして、「被告に対する財産的利益の供与も必ずしもこれが社会通念上著しく相当性を欠くものともいえない。」(第一審判決書14丁)と判示した。

(二) しかし、「相当性」かどうか単にその割合や、亡雪夫と被上告人との関係等から一律に決定することができない。亡雪夫が、本件遺言をした当時の亡雪夫の収入、支出の内容、積極財産の内容、消極財産の内容、歴史教育研究所への援助の内容、被上告人への生活費支給の有無、額、上告人らの生活の程度、内容、歴史教育研究所の活動状況(殊に亡雪夫は、遺言書からも明らかなとおり、同研究所の存続には強い希望を有していた)、口頭弁論終結時の財産状況、歴史教育研究所の活動状況等を確定して、總合的に判断すべきである。

また、原判決は、本件遺言が有効であることの根拠として「他方の生活を保全するために遺贈がなされたにとどまるときは」(第二審判決書4丁)と判示する。してみれば、被上告人の遺言当時の生活レベル、将来の見通し、亡雪夫の財産状況、被上告人の年令、収入の可能性の有無、結婚の有無その可能性、上告人らの生活状況、年令、収入の有無等を考慮して、初めて本件遺言による遺贈の割合が被上告人の生活を保全するに足りるものか否かが判断されるのである。

東京地昭和51年5月26日判決(判例時報838-57)によれば、「・・・・・・本件財産の供与の主目的は、債務者および子の将来の生活が困らないようにとの配慮に出たものであることが一応認められること、その額も、太郎と債務者との前記第四項認定の関係及び太郎の資産を考慮すれば必ずしも過大とも言えず・・・・・・本件契約は民法90条に違反し無効と解すべきでない」と判示し、その額についても判断資料の一部としている。

原判決は、これらの点について、何ら審理することなく、単にその割合が著しく不相当とは言えないと結論する。これは審理不尽あるいは理由不備といわなければならない。

10 遺贈の割合。

(一) 本件遺言は、全遺産の3分の1を被上告人に与えるものである。ところが、これまでに述べた亡雪夫と被上告人の関係、亡雪夫と上告人らとの関係から見て、平等とすることは不合理である。もし、これを合理的なものとして認定するには、被上告人において、上告人花子や甲野月子と比較して優劣を付け難い程度に、精神的、肉体的に亡雪夫に協力した事実が必要である。ところが、記録によれば、肉体的協力は別としても(それも僅か数年)、精神的協力は絶無いやマイナスであると言わなければならない。

(二) このように、「3分の1」という割合それだけをとつても、不合理と言わなければならない。

11 適切な裁判例

(一) 福岡地方裁判所小倉支部昭和56年4月23日判決(昭和52年(ワ)第558号-家庭裁判所月報33巻第12号)も、13年間続いた不倫の関係にあつた女性に対し、3分の1の包括遺贈をした遺言について、「強いて関係を結んだ謝罪の意味と、永年世話になつた感謝の意味があつたとしても、29歳も年下の女性に対し、気持をつなぎとめておく-配慮がうかがわれ、情交関係を維持継続したい強い希望に応じてくれるであろうことを前提としたもの」と断じた上、贈与の態容が著しく不合理(包括遺贈で住宅等を妻と共有にするなど)であるばかりでなく、その内容も過大(30%)だとして、社会通念上相当のものとは到底認めることができないとしているのである。

この判示も、總て本件にも当てはまるもので、亡雪夫が被上告人に対して全財産の3分の1の持分権という多額な財産を(30年近く連添つた、生活の苦しいときは着物を売つて家計のたしにした程の内助の功も顕著な妻、自分の歴史研究やその主宰する研究所の事業などを助け、著書の出版にも協力した教師の1人娘と同額)与えなければならない理由は全く存在しない。とくに、妻子が居住している住宅や研究所の土地建物についても共有にするという贈与形態は極めて不合理である。

(二) なお、以上の本件の場合と同じように、相手の歓心を買う目的で、妻子の居住土地建物の10分の1の持分権等を包括遺贈の遺言について「財産形成に寄与し、経済的に全面的に夫に依存する妻の立場を全く無視するもので、その生活の基盤を脅かすものであつて、不倫な関係にある者に対する財産的利益の供与としては、社会通念上著しく相当性を欠くもの」として、公序良俗に反するとの裁判例もある(東京地方裁判所昭和58年7月20日民10部判決、昭和51年(ワ)年1328号-判例時報1101号59頁)。

12 実現不可能な遺言

(一) 本件遺言書の後半には「但し、歴史教育研究所(渋谷区神山町24番9号壱○壱号の維持費用については、右参名の間にて第三者立会の上、公正に配分すべき事絶対なり、右に違反するいかなる決定にも承服せず」()印のカツコはない)。との記載がある。右遺言及び証人B男の証言等から、亡雪夫は右研究所の存続(研究所に対する個人的援助)については、強い希望を有し、これを打ち切ることは遺言者の意思に反することがうかがえる。

(二) 右神山ハイムの土地建物は、相当の高額と推察される。この財産を含む亡雪夫の全財産を3分の1の均等割合で配分するとすれば、当然に右神山ハイツの売却を考えなくてはならなくなる(3人の共有関係の持続は考えられない)。このことは、右研究所の廃止につながるものと言わなければならない。即ち、右神山ハイム101号室は右研究所のある建物であるが、この建物が第三者に売却されるということは即ち、101号室の賃料(場所柄を考えると月額数十万円となる)の支払いを余儀なくされる。そうでなくとも、亡雪夫はこれまで、私財を右研究所につぎ込んでいたことを考えると、その負担は莫大なものになる。その維持はほとんど亡雪夫とその相続人たちの建物、蔵書等の提供と出費に頼つている現状では、到底同研究所を維持することは困難となることは必定である。また亡雪夫自身も、右神山ハイムの売却まで考えて遺言したとは考えられない。

また、神山ハイムの売却は、上告人花子の生活を脅かす結果となる。上告人花子は、相当高令であり、しかも本件で相当な精神的苦痛を受け、その結果ノイローゼになつている。上告人は亡雪夫と平穏な余世を送ろうとしていたところ、被上告人による本件遺言の結果、神山ハイムを売却するようになると被上告人は、本件建物以外に生活の基盤となるような遺産がないので、生活の基盤を失うことになる。現在の神山ハイムがある限り、同所からの賃料収入によつて上告人花子の生活はまかなわれているからである。亡雪夫が、上告人花子のこのような生活権まで奪つて、被上告人に財産を遺贈するものとは考えられない。

13 乙山夏子の証言の信用性

(一) 原判決は、右夏子の証言を採用し、「本件遺言作成時、またはそのころにおいて、両者の関係は平穏に推移していたものと認められ」、(第一判決書12丁)と判示している。

しかし、右証言は、2項で述べるように不自然な点があり、とうてい採用することは困難である。

(二)〈1〉 上告人らが依頼した調査人が、同人を訪門し質問したところ、自分に都合の悪いことは話さなかつた(甲15)。

〈2〉 証人夏子は、「被上告人の勤め先まで聞いていない」(59.2.15付23)と証言する。しかし、被上告人と一番親しくしていたこと、月2回位被上告人宅に行つていたこと、妹の仕事を知つていた(7月8日付4)と言うのにその勤め先を知らなかつたというのは不自然である。

〈3〉 証人は、被上告人から遺言のことは聞いたが、協議書のことは聞いていないといつている(同日付25)。

〈4〉 2月15日付調書では、「被上告人よりきてくれと言われて遊びに行つたのではない」(40)といいながら、7月18日付調書では、「電話があつてよく行つた」と証言している。

〈5〉 2月15日付調書では、証人は「経堂のマンシヨンに行つた」(6)といいながら、7月18日付調書では「病気で行かなかつた」(3)と証言している。

〈6〉 証人は、被上告人を「月2回位」尋ねたと証言しているが、経堂のマンシヨンの時は、「病気で行かなかつた」とか「きまずい思いするから外で会つた」(2月15日付4)と言つていながら、さも亡雪夫が被上告人のマンシヨンに寝泊りしていたのを見たように証言している。

〈7〉 証人は、久保島ビルで「亡雪夫がどんな荷物を持つていたか知らない」(7月18日付11)といいながら、他方では「妹の仕事着の有無や亡雪夫の着替え」まで知つている(同日付4)と証言しており、不自然である。

〈8〉 久保島ビルを賃借する当時、被上告人はすでに亡雪夫から600万円も受領しており、マンシヨンを賃借する金がないことはなかつた。証人は、被上告人より何でも相談を受けていたというのであるから、このことを知つているにもかかわらず「春子には金がない」(7月18日付11)と証言しているのは不自然である。

〈9〉 証人は、被上告人の捜索願いを出していないが、すでにいなくなつて6-7年位になるのにそのままにしているのは不自然である。E子氏の親族は数百万円を出して捜索したことを考えると、せめて捜索願い位いは出すのが自然である。

〈10〉 被上告人の荷物は区役所に預けてあると言いながら、本件証拠の写真のみはバツクに入れて所持していたと証言しており、その写真の出どころも不自然である。

〈11〉 証人は、亡雪夫が遺言作成の際「紙を出せ」というようなことは被上告人から説明を受けたと証言しているが、どうして遺言するようになつたかの説明は全く受けてない。被上告人と仲が良かつた証人に対し、このことを話していないというのは不自然である。

〈12〉 このように証人乙山夏子の証言は、自己に有利な事実については、明確な証言がなされているのに、不利な証言についてはあいまい、または不合理な証言がなされている。全体として措信できない。経験則上からも採用すべき証言ではないことは、証言の内容を充分吟味すれば明瞭である。審理不尽といわなければならない。

第四、以上原判決を些細に検討したところ、審理不尽、理由不備、理由ソゴ等の違法があり、かつ経験則違反、採証の法則違反等の法令の解釈運用を誤つているので、破棄の御裁判を願う。

〔参照1〕 二審(東京高 昭59(ネ)3409号 昭61.2.27判決)

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一 控訴代理人は、「原判決を取り消す。訴外丙野雪夫が昭和49年8月21日なした原判決添付別紙記載内容の遺言は無効であることを確認する。被控訴人は、各控訴人に対しそれぞれ金500万円及びこれに対する昭和57年3月10日から支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。控訴費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び金員支払部分につき仮執行宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

二 当事者双方の主張は原判決事実摘示のとおりであり、証拠関係は原審記録及び当審記録中の書証目録及び証人等目録記載と同一であるから、これらを引用する。

理由

一 当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも棄却すべきものと判断するが、その理由は次のとおり附加、訂正、削除するほかは原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

1 原判決7枚目表5行目の「3ないし7」を「3ないし9」と改め、同裏1行目の「証人A子」の前に「原審」を加え、同2行目の「被告財産管財人」を「当審証人C男の証言、原審及び当審における被控訴人財産管理人」と改め、同3行目の「原告花子、同月子」を「原審における控訴人花子、原審及び当審における控訴人月子」と改める。

2 同8枚目表4行目の「同棲」を「寝泊り」と改め、同6行目の「昭和40年」を「昭和43年」と改め、同7行目の「それぞれ」の前に「おおむね」を加え、同行目の「花子は、」の次に「主として」を加え、同裏5行目の「続いていたが、」の次に「被控訴人に持ち上つた縁談も亡雪夫が強く反対して立ち消えとなつたことがあり、」を加え、同6行目の「また、」の次に「被控訴人は、前記のとおり秀和東中野レジデンスで亡雪夫が寝泊りするようになつて以降生活の資をもつぱら亡雪夫に頼るようになり、」を加える。

3 同9枚目裏6行目の「同居」を「寝泊り」と改め、同7行目から8行目にかけての「神山町24番9号」を「神山町1456番地35」と改め、同行の「神山ハイツ」を「神山ハイム」と改める。

4 同10枚目表11行目の「遺言書」の次に「(別紙書面の原本)」を加え、同裏10行目の「歴史」の次に「教育」を加える。

5 同11枚目表三行目の「183」を「約184」と改め、同6行目の「証人A子」の前に「原審」を加え、同7行目の「原告両名の」を「原審における控訴人花子、原審及び当審における控訴人月子と改め、同裏三行目の「内縁的関係」を「半同棲の男女関係」と改め、同10行目の「昭和42年2月ころ」を「昭和43年頃」と改める。

6 同12枚目表8行目の「原告ら」を「原審における控訴人ら」と改める。

7 同13枚目表3行目の「検討する。」の次に行を代えて、「思うに、不倫な関係にある男女の一方が他方に対し自己の財産を遺贈するとの内容の遺言をした場合において、その遺贈が不倫な関係の継続を強要することを目的としてなされたときは、右遺言が公序良俗に違反し無効であると解すべきことは当然であるが、不倫な関係を継続するためではなく、他方の生活を保全するために遺贈がなされたにとどまるときは、財産供与の範囲が著しく不相当でない限り、このような遺言までも公序良俗違反のゆえに無効であるということはできないと解される。」を加え、同5行目の「昭和42年2月ころ」を「遅くとも昭和44年頃」と改め、同6行目の「同棲または」を「いわば」と改める。

8 同14枚目表7行目の「主目的は」の次に「もつぱら生計を亡雪夫を頼つていた」を加え、同裏9行目の「昭和40年ころ」を「昭和43年頃」と改める。

9 同15枚目表11行目の「とうてい」を削り、同裏11行目の「原告ら」を「原審における控訴人花子、原審及び当審における控訴人月子」と改める。

二 よつて、原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訟訴費用の負担につき民訴法95条、89条、93条を適用して、主文のとおり判決する。

〔参照2〕 一審(東京地 昭56(ワ)15467号 昭59.12.19判決)

主文

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訟訴費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 訴外丙野雪夫が昭和49年8月21日なした別紙記載内容の遺言は無効であることを確認する。

2 被告は各原告に対しそれぞれ金500万円と昭和57年3月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 訟訴費用は被告の負担とする。

4 第2項につき仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訟訴費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一 請求の原因

1 訴外亡丙野雪夫(以下亡雪夫という)は、昭和6年東京大学西洋史学科を卒業後、西洋史学者としての研究生活及び後進の指導にあたつてきたものであるが、昭和50年10月25日神奈川県秦野市で死亡した。

2 原告甲野花子(以下原告花子という)は、亡雪夫の妻であり、原告甲野月子(以下原告月子という)は、亡雪夫の長女であり、いずれも亡雪夫の相続人である。

3 亡雪夫は、昭和49年8月21日別紙内容の遺言書(以下「本件遺言」という。)を作成した。

4 しかし、右遺言は、亡雪夫の真意に基づくものではなく無効である。即ち、

被告は、もとホステスをしていたところ、積極的に亡雪夫に近づき「情交関係をもつに至るや金銭を要求し、その間亡雪夫は暴力におびやかされ、同人らの関係の暴露におそれおののきながら金銭を提供し、交際を続けてきた。被告は、その要求をのまなければ、グラス、書籍、その他手当り次第に物を投げつけ、亡雪夫を負傷させ、洋服の下着類を鋏で切つたり、首を締めたりした。亡雪夫は、被告のこのような所為に恐くなつて原告らに電話で助けを求めることもあつた。このような状況下にあつて昭和46年1月4日、原告月子の立合のもとで確認書を作成し手切金として亡雪夫が中野区東中野に所有していたマンシヨンを売つてその代金を贈与することにした。しかしその後も被告は、亡雪夫に復縁を迫り、亡雪夫の居住場所の近くに移転して住んだり、再三のいやがらせの電話をしたりした。亡雪夫は、これらの被告を避けるため、神奈川県秦野市に住居を求めたり、多額の金銭を与えたりしていた。このような中にあつて、被告は亡雪夫の弱身につけ込んで、原告らと同等の取り分を要求し、遺言書を書くことを強く求め、亡雪夫は言われるままに書いたもので、このことは、本件遺言書の文字が判読できない程に乱雑で、妻の名を間違いたり、肩書住所の地番を間違いたりしているのに訂正もなく、誤字脱字も多く、その形体からしてためし書きか、または、やけくそに書いたものとしかいいようのないものであることからも明らかで、これらの事実を総合すれば、亡雪夫の本件遺言は単なる男女間の戯れとして、または、草稿のようなつもりでなされたにすぎず、とうてい真意に基づいたものといえず、何らの法的効力をもつものではない。

5 仮に、真意に基づく遺言であつたとしても、亡雪夫が本件遺言書を作成したのは、当時被告が右のように亡雪夫の弱身につけ込み、もしその作成に応じなければ同人の身体、名誉、信用に危害を加えかねない気勢を示して亡雪夫を脅して畏怖させ、これを作成せしめたものである。よつて、亡雪夫の地位を承継した原告らは、本訴状をもつて右遺言を取消す旨の意思表示をし、右訴状は、昭和57年3月9日被告に到達した。

6 また、仮に、真意に基づく遺言であつたとしても、本件遺言の内容は、従前の亡雪夫と被告の関係を前提にしても被告に与える分は不相当に高額であり、永い間の共同生活や内助の功などに深い感謝の気持をもつてなされたものということはできず、単に不倫な関係の維持継続のためにのみなされたものであり、公序良俗に反するもので無効である。

7 原告らは、被告の前記行為により原告花子の婦権や原告月子の父母を基調とする家庭の平和をともに侵害され、また、度重なる亡雪夫に対するいやがらせ、執ような電話等によつて不眠、食欲不振、ひいては精神的、肉体的苦痛を与えられ、更には本件遺言によつて遺産の分割を求められ更に心痛を増大させられている。これら被告の行為は民法709条の不法行為に該当し、原告らに対して慰藉料を支払うべき義務があるところ、原告らの右苦痛を慰藉するにはそれぞれ金500万円が相当である。

8 よつて、原告らは本件遺言が無効であることの確認を求めるとともに被告に対し、各原告にそれぞれ金500万円とそれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和57年3月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1ないし3の各事実は認める。

2 同4ないし6の事実は否認し、その主張は争う。

3 同7の事実は否認しその主張は争う。

三 抗弁(慰藉料請求に対して)

仮に、原告花子の婦権侵害があつたとしても、亡雪夫が昭和50年10月25日死亡によつて右侵害行為は終了し、右事実を充分知悉している原告らにおいて、右時点から3年内に申立をしておらず、したがつて原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権は時効により消滅した。被告は、本訴において右時効を援用する。

四 抗弁に対する認否

抗弁事実は否認し、その主張は争う。

第三、証拠〔省略〕

理由

一 請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

二 成立に争いのない甲第1ないし第3号証、第6号証、第13号証の1ないし3、第20号証の1ないし3、乙第2号証の1ないし3、第8号証の3ないし7、第8号証の18、被告の署名、印影部分については争いがなく、弁論の全趣旨によつてその余の部分も真正に成立したものと認められる甲第4、5号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第15号証、被告または亡雪夫がそれぞれ写つている写真であることにつき争いのない乙第3号証、第4号証の1ないし4、第5号証の1、2、第6、7号証の各1ないし6、証人A子、同B男の各証言(いずれも後記措信しない部分を除く)、被告財産管財人乙山夏子の尋問の結果、原告花子、同月子各本人尋問の結果(いずれも後記措信しない部分を除く)に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

1 被告は、昭和41年春ころ、当時東京大学教養学部の教授をしていた亡雪夫と知人の紹介で知り合つたが、その時は食事をしながら話しただけであつた。その後同人らは全く交際がなかつたが、昭和42年2月ころ、被告の方から亡雪夫に電話したところ亡雪夫から食事に誘われ、以後同人らの間で交際が続くようになり、そのうち情交関係を持つようになつた。

そして、昭和44年9月ころからは、亡雪夫が所有していた中野区東中野1丁目所在の秀和東中野レジデンス801号において同棲するようになつた。

ところで、亡雪夫は、昭和22年7月1日原告花子と婚姻していたが、昭和40年ころからは亡雪夫と原告花子はそれぞれ別々に生活するようになり、原告花子は、静岡県伊東市の伊東マンシヨンに、亡雪夫は都内に住むようになつた。

亡雪夫は、被告と交際後、昭和43年ころ、自ら出版した書籍の出版記念パーテイに被告を同伴して出席し、原告花子もこの時から同人らの交際を知るようになつた。また、亡雪夫は、その後も原告花子の住む伊東マンシヨンに被告を連れて行き、宿泊させたこともあつた。

2 亡雪夫と被告の交際は、亡雪夫が死亡する昭和50年10月ころまで続いていたが、この間、亡雪夫と被告の間で喧嘩や別れ話なども時々あり、また、亡雪夫と被告との間で金銭的な取り決めもなされたことがあつた。

昭和45年1月27日両者の間で、亡雪夫が被告に毎月10万円を支給し、更に亡雪夫は被告名義で定額預金又は債券100万円を積立てることなどを約した協約事項書(乙第2号証の1、2)を作成した。

同年6月18日には、亡雪夫が被告の姉妹らに援助する旨約した書面(甲第6号証)が作成された。

昭和45年10月ころから昭和46年1月初めころまでの間亡雪夫と被告との間で諍いや別れ話が持ち上がり、両者の間で財産的な問題で種々やりとりがあり、昭和46年1月4日原告月子の立合のもとで、亡雪夫は、中野区東中野の前記秀和東中野レジデンス801号の売却代金を被告に全額提供すること、その後は亡雪夫及び被告は独立生計を営み、互いに迷惑、負担をかけず、干渉しないことを約束することなどをその内容とする確認書(乙第2号証の3)が作成され、その後しばらく両者の交際は止んだ。しかし、その後間もなく亡雪夫と被告の交際は復活し、被告は、同年2月ころから亡雪夫の住む家の近くの渋谷区富ケ谷の代々木グランドハイツに移り住むなどしたが、これを知つた原告月子と被告の間で口論があつたりしたことから同年12月ころそこを引越して、亡雪夫が賃借した世田谷区経堂所在の小田急経堂ビルに移り、亡雪夫もそこに同居したりして両者の関係は継続した。昭和48年ころ、亡雪夫は、渋谷区神山町24番9号に完成した神山ハイツに移り住み、昭和49年5月からは被告も品川区上大崎所在の賃貸マンシヨン久保島ビルを賃借りし、そこに住むようになつた。なお、右マンシヨンを賃借りするについては亡雪夫も被告に同行し、被告の伯父と称して契約に立合つた。そして、右マンシヨンにも時々亡雪夫が来訪し、被告との関係を続けていた。

この間にも、被告は、亡雪夫から昭和46年4月23日前記秀和レジデンスの売却代金の内金として金300万円を受け取り、また、昭和48年12月14日には金300万円の贈与を受けている。

3 このような状況の中にあつて、昭和49年8月21日、亡雪夫は、当時被告の住んでいた前記久保島ビルに来訪した際、急に遺言書を書くからといつて被告に用紙をよこすように言い、被告が適当な用紙がないなどというと近くにあつたノートを切り取つて遺言書を作成した。作成後、亡雪夫は、将来安心して生活できるだろうなどと述べながら被告にその遺言書を手交し、被告がそのまま引き出しに入れたところ、亡雪夫は、被告の銀行の金庫に入れておくように助言し、被告は言われるまま自分の銀行の金庫に預かつてもらつた。その後、被告は、遺言書のことについてはさほど気にもとめずに、亡雪夫との交際を継続してきたが、昭和50年10月25日亡雪夫は死亡した。

4 亡雪夫と被告の関係の継続は原告らにおいてもこれを十分知つていたことであり、亡雪夫は被告を敬老の日記念旅行などにも同伴し、昭和50年ころには亡雪夫の設立した歴史研究所の評議委員をしていたB男と食事を共にする際にも被告を同伴し、あるいは亡雪夫、被告、原告花子らで一緒に旅行するなどなかば公然のことであつた。

5 亡雪夫は、身長183センチメートル、体重6、70キログラムで、その体格は堂々としており、その性格は豪放磊落で、かつ活動的であり、遺言書作成時は健康であつた。

以上の事実が認められ、証人A子、同B男の各証言中、これに反する供述部分及び原告両名の各本人尋問の結果中、これに反する供述部分はいずれもこれを措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定事実によれば、亡雪夫と被告は、昭和42年2月ころから亡雪夫の家族あるいはその他周辺の人々にもなかば公然とその関係を継続してきたものであり、この間両者の間には喧嘩、口論、別れ話などもあつたが、それは一時的なものであり、亡雪夫が死亡するまで約7年間、いわば内縁的関係にあつたものということができ、こうしたなかにあつて、前記認定の経過で遺言書が作成されたものである。

三 原告らは、本件遺言は、単なる男女間の戯れとして、または、草稿のようなつもりで作成されたにすぎず、とうてい真意に基づいたものとはいえない旨主張するが、前記認定の亡雪夫と被告の間柄、遺言書作成前後の事情、本件遺言書の形体に照らすといまだこれを認めることはできず、原告らのこの点に関する主張は採用できない。

確かに、本件遺言書の字体がやや乱れ、誤字もあることが認められるが、これをもつて直ちに本件遺言が亡雪夫の真意に基づかないものと断定することは困難である。

次に、原告らは、亡雪夫は被告の強迫によつて右遺言を作成したものと主張するので判断するに、前記認定事実によれば、亡雪夫と被告との間で、喧嘩、別れ話などがあり、前掲各証拠によれば、その際に、被告において亡雪夫に物を投げるなどの暴行のあつたことも認められないわけではなく、また、遺言書作成までの間に金銭の授受、またはこれらを約した書面なども存し、あるいは時に被告において亡雪夫に金銭の交付を要求するようなことがあつたものと推認できなくはない。しかし、これらが、いずれも被告の強迫行為であり、かつ、亡雪夫においていずれも畏怖した結果なされたものと認めることは困難であり、加えて、本件遺言書作成時、または、そのころにおいて両者の関係は平穏に推移していたものと認められ、被告の強迫行為があつたことは本件全証拠によつてもこれを認めるに足らず、また、遺言書作成後も両者の関係が持続していることなどを考慮すると原告らの右主張はとうてい採用することができず、原告ら各本人尋問の結果中これにそう供述部分はいずれもこれを措信できない。

したがつて、原告らのこの点に関する主張はその余を判断するまでもなく失当である。

四 進んで、本件遺言は、単に不倫な関係を維持継続するためにのみなされたもので公序良俗に反し無効である旨の原告らの主張について検討する。

前記認定事実によれば、亡雪夫は妻である原告花子があつたにもかかわらず、被告と昭和42年2月ころから本件遺言後亡雪夫の死亡時まで同棲または半同棲のような形で不倫な関係を継続したものというべきであるが、この間昭和46年1月ころ一時両者の関係を清算しようという動きがあつたものの、間もなく両者の関係は復活し、その後も決定的な別れもなく継続して交際していること、亡雪夫には被告のほかこのような付き合いをしている女性があつたと窺うことはできず、また、亡雪夫と被告の関係は早期の時点で家族にも公然となつていたこと、他方亡雪夫と原告花子間の夫婦関係は昭和40年ころからすでに別々に生活するなどその交流は希薄となり、夫婦としての実体はある程度喪失していたものとみられること、遺言の作成前後において両者の関係の親密度が特段増減したという事情もないこと、本件遺言の内容は、原告花子、同月子及び被告に全遺産の3分の1づつをそれぞれ遺贈するというものであり、昭和49年8月当時の民法の定める妻の法定相続分が3分の1であつたこと、原告月子はすでに嫁いでおり、高等学校の講師などをしていることなどを考慮すると右遺言の内容は原告花子、同月子の寄与あるいはその立場を無視したものともいえず、また、その生活の基盤をも脅やかすものであるともいえないこと、その他本件にあらわれた諸事情を総合すると亡雪夫が被告との不倫な関係を維持継続させるため、あえて本件遺言において被告に遺贈を行なう必要性もなく、本件遺言が不倫な関係の維持継続を目的としてなされたものとみることはできないところであり、むしろ、その主目的は被告の将来の生活が困らないようにとの配慮に出たものであることが認められ、被告に対する財産的利益の供与も必ずしもこれが社会通念上著しく相当性を欠くものともいえない。そうだとすれば、本件遺言が民法90条に違反し無効と解すべきではなく、したがつて、原告らの右主張は採用できない。

五 かくして、原告らの本件遺言が無効である旨の主張はいずれも理由がないこと明らかであるから、本訴請求中、本件遺言が無効であることの確認を求める部分は失当として棄却を免れない。

六 ところで、原告らは被告に対して不法行為に基づき慰藉料の支払を求めるので検討するに、被告が亡雪夫と不倫な関係があつたことは上来説示したとおりであり、また前示のとおり、亡雪夫と原告花子の夫婦関係は、昭和40年ころにはすでに夫婦としての実体もある程度失なわれ、むしろ、原告花子の本人尋問の結果によれば、原告花子は亡雪夫の対被告との関係には関心を示していなかつたことが窺われるところであるが、かといつて、原告花子において、亡雪夫と被告の関係を全く宥恕していたものとも認められず、また、その夫婦関係も全く破綻していたともいえないところであるから、被告が亡雪夫と不倫な関係を継続したことは一応原告花子の妻たる権利を侵害しているものというべきである。ところで、原告月子もそれによつて精神的苦痛を被り、被告の右行為は、原告月子に対しても不法行為を構成すると主張するが、原告月子の被侵害利益が明らかでないところ、被告が亡雪夫と関係を継続したことが直ちに原告月子に対する不法行為を構成すると解することはとうてい困難である。

被告は、これに対し、抗弁として消滅時効を援用するので検討するに、亡雪夫は昭和50年10月25日死亡したところ、その死亡により、被告の侵害は止んだものと解され、かつ、前示のとおり原告花子において、当時亡雪夫と被告の関係を知悉していたのであるから、亡雪夫の死亡後3年以上経過した後においては、損害賠償請求権は時効によつて消滅したものというべきであり、本件においては、この点に関する被告の抗弁は理由があるといわなければならない。

また、原告らは、右のほか、被告の度重なる亡雪夫に対するいやがらせ、執ような電話等によつて不眠、食欲不振ひいては精神的肉体的苦痛を与えられた旨主張し、原告ら各本人尋問の結果中にはこれにそう供述部分があるがこれをにわかに措信し難く、他に本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。そして、被告の本件遺言に基づく遺産の分割の請求は、これが無効とはいえない本件にあつては不法行為を構成しないこと明らかである。

以上要するに、原告らの慰藉料請求は、いずれも理由がなく失当である。

七 よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法89条、93条本文を適用して、主文のとおり判決する。

遺  言

渋谷区神山町24番九号

丙野雪夫

小生が死亡せる場合は甲野月子に全遺産の参分の壱、甲野花子に同参分の一、乙山春子に参分の壱を贈与することを確言する。

但し、歴史教育研究所(渋谷区神山町24番九号壱○壱号の維持費用については右参者の間にて第参者立会の上、公正に配分すべき事絶対なり。

右に違反するいかなる決定にも承服せず。

昭和四拾九年八月弐拾壱日

在籍渋谷区神山町22-9

丙野雪夫

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